4歳の息子と30歳の自分

息子が4歳になった。
3歳から幼稚園に行かせていたが、ここ1年で言葉が増えた。
よく成長したと思う。
近所の子供とも仲良く遊べるようになった。
以前はケンカをして、なかなかうまく遊べなかった。
小さいながらも社会性が身についてきているのだと思う。

自分も気づけば30歳。

20歳の頃と何が変わったのだろうかと考えてみた。

20歳の頃はとにかく我が強かった。
自分のことしか考える必要がなかったからだ。

いまは家族がいるので、自分のこと以外も考えないといけない。
自分の好きなことだけやっているわけにもいかない。

だんだん中心が自分からずれてきているように思う。
それに伴って我も薄まってきた。

自己実現とか成長とかを第一とするなら、あまりよくないことなのかもしれないが、
自分はいまのままでよいのではないかと思っている。

これが大人になるということなのかもしれない。

あまりおっさんにはなりたくはないが、人のことを考えることができるくらいの分別と優しさを持った大人にはなりたいものだ。

三四郎を読んだ

夏目漱石の「三四郎」を読んだ。

実は以前にも読んだことがあるのだが、途中で挫折してしまった本。

今回は最後まで読み通した。

熊本の高校を卒業した三四郎が東京の大学に行き、その生活がツラツラと書かれている。

三四郎は平凡な学生で、これといって尖っているところがないし、何かをやり遂げた訳でもない。

ただただ周りに翻弄されて、大学生活を送っていくのだ。

大学生活で美禰子と知り合い、恋をする。

交流を続けるが、結局美禰子は他の男性と結婚をしてしまい、これといった希望もなく物語は終わってしまう。

最後まで読んではみたものの、なんとも夢も希望もない話しなのである。

漱石が書きたかったのは、巷に溢れているありきたりな希望ではない、と思う。

将来への不安や、もやもやとしたものを三四郎というごく平凡な人物を通して描いていたのではないか、と個人的には感じた。

三四郎は英語を学んでいたが、英語の書物をいくら読んでも不毛だと三四郎は言っていた。

漱石は英語を学ぶためにイギリスに留学していたが、おそらく漱石自身もイギリスで同じことを感じたのであろう。

三四郎には続きがあるそうで、「それから」、「門」へと続くそうだ。

希望がないこの現代。

ごくごく平凡な人間はどう生きていくべきなのか。

作品を読み進めていくことで、そのヒントを汲み取ることができるのではないかと思う。

ちなみにKindleだと無料でダウンロードできる。

Fitの床が濡れているので修理に持って行った

ここ最近、Fitの後部座席の床がずっと濡れているので調べてみた。

初期型Fitによくある不具合のようで、部品が劣化して雨が車の内部にたまり、それが原因で床が濡れるとのこと。

ディーラーに持って行ったところ、部品の劣化による雨漏りとのことだった。

修理に2万円ほどかかるとのこと。

このまま放っておいて、車内がカビ臭くなると困るので修理をお願いした。

修理には1日かかるとのこと。

ついでに、パワーウィンドウの部品がリコールの対象となっていたらしく、それもついでに交換してもらうことになった。

これは正規のディーラーでないとおそらくわからないので、依頼してよかったと思う。

まずはじめに

ブログを新しく作ってみた。

まだ何を書いていくかは定まっていないけれど、考えたことや感じたことを好き勝手に書いていくつもり。

日が変わって、3月7日になったところ。

静かな夜。