近年、プロダクト部門はビジネスの成果を左右する重要な部門となっており、その組織を構成するエンジニアの質がビジネスの成果に大きく影響するようになっています。一方でエンジニアの離職率の高さと採用の難しさが経営の問題となっている組織も少なくありません。
この記事では、なぜエンジニアがやめるのかをエンジニアの心理と構造の点から解説し、組織がとるべき対策について論じます。
1.退職の理由
まず前提として、エンジニアはその会社をできる限り続けたいと考えています。
なぜなら、転職にはリスクを伴うからです。新しい組織に移動すると今までの人間関係がリセットされ、ゼロから関係を築いていく必要があります。そういった苦労はできれば避けたいと考えています。
それなのに、なぜやめてしまうのでしょうか。給料が安い、残業が多い、技術的な学びが少ない、福利厚生が乏しい。どれもそれらしい理由に見えますが、実はこういった問題は本質的な問題ではありません。
エンジニアが退職する根本的な理由は、その会社や組織がどうにもならないと判断したからです。多くのエンジニアは退職以外に現状を改善する手段がなくなったため、退職しているのです。
2.静かな危険信号
以前は意見を言っていたのに、最近静かになったと感じる人はいませんか?最も退職のリスクが高い人は最近静かになった人です。
文句・反論・衝突は「改善の余地がある」というサインです。声を上げている人は、まだ組織に期待をしている状態です。その期待がなくなった時、不満を表に出さなくなります。
沈黙は判断の結果
エンジニアが不満を表に出さない理由は、単に我慢しているからではありません。声を上げるコストと、それによって得られる利益を天秤にかけた結果、声を上げることをやめているのです。黙るのは「合理的撤退判断」です。
論理的思考の強いエンジニアは、感情的な反応ではなく、冷静な判断に基づいて行動します。組織が変わる可能性が低いと判断した時点で、声を上げることをやめ、次のステップを考え始めます。
3.なぜ組織は「沈黙」を危険信号として認識できないのか
このように「沈黙」は危険信号ですが、多くの組織は危険信号として認識することができていません。これは沈黙を計測するのが難しいという構造上の理由からです。
表面上は何も問題が起きていないように見える
納期は守られています。いつもと変わらず仕事は進んでいるように見えます。表面上は何も問題が起きていないように見えるため、組織は沈黙を危険信号として認識できません。
マネジメントが見ている指標がズレている
マネジメントは数値化できる指標、例えば、アウトプット量・稼働率を見ています。意思決定の質については計測することが難しく、現場レベルでの感覚でしかわからないことも多いです。
このズレが、沈黙を見逃す原因となっています。沈黙はKPIに現れません。エンジニアがやめる時、組織は初めて問題に気づくのです。
4.問題は「意思決定プロセス」
声を上げることをやめる原因の多くは、「意思決定プロセス」にあります。反対意見を言うことにリスクがあったり意味を持たない状態が続くと、エンジニアは意見を言うことをやめます。例えば、
- 反対意見を言ってもその場で突っぱねられる
- 意見の違いに寛容ではない(意見を言うこと自体がリスクになる)
- その場では検討しますと言われるが、実際は検討されない
意見 → 何も変わらない、の繰り返しが続くと、発言コストだけが蓄積していきます。この状態が続くと、エンジニアは「この組織では言っても無駄だ」と判断し、意見を言うことをやめます。
以下は私が実際に観察した問題のある意思決定プロセスです。
ファシリテーターが意見を評価する
ある開発チームの会議で、開発チームのリーダーが会議をファシリテーションしたのですが、そのファシリテーションに問題がありました。
開発チームのリーダーはメンバーが意見を言ったその場でその意見を評価し、その内容からはそれはちょっと違うというようなニュアンスが感じられました。そのような反応をされてしまうと、メンバーは正直に自分の意見を言うことが難しくなります。
ファシリテーターは参加者の発言を促し、会議を前に進めることが目的です。ファシリテーター自身は意見を評価するべきではありません。ファシリテーターが意見を評価すると、ファシリテーターの顔色を伺いながらメンバーが発言をすることになり、意見を言うことを躊躇したり、意見を忖度することになるからです。
このように誰かの顔色を伺いながら発言しないといけない状態は、意思決定プロセスに問題があると言えるでしょう。
意見の違いに寛容ではない(意見を言うこと自体がリスクになる)
意見の違いに寛容でないことは長期的にリスクがあります。短期的には意思決定の速度が上がりますが、メンバーが考えることをやめてしまい、長期的には組織としての意思決定力が弱くなってしまうからです。
このような事例がありました。
ある会議で開発者の一人がシステム的な問題について意見を述べているところ、リーダーがその話を遮り、問題は別にあるということを話し始めました。話を遮られたメンバーは自分の意見が尊重されていないと感じるでしょう。
リーダーとメンバーのような構造はリーダーの意見が構造上強くなります。リーダーがメンバーの人事権を持っていることが多いためです。
リーダーは組織の構造的な力学を理解し、幅広い意見を収集するという意識を持つ必要があります。しかし、そのような視点を持っているリーダーは多くありません。特にプレイヤーとして優秀だった人がリーダーになった場合は、自分の意見が正しいという意識が強い傾向にあります。
本来は様々な観点から問題を分析する必要がありますが、誰かと異なる観点で発言をした時に話を遮られてしまうような状態は、意思決定プロセスに問題があると言えるでしょう。
5.沈黙の代償は、想像よりも高い
意思決定プロセスのまずさは次のような問題を引き起こします。
エンジニアの退職
黙っている人はある日突然やめていきます。さらに悪いことに優秀なエンジニアからやめていきます。なぜなら、エンジニアは売り手市場であり、優秀なエンジニアであればよい条件で次のポストを見つけることができるからです。
優秀なエンジニアは「代替が効きにくい人」でもあります。特に
- ドメイン知識
- 設計思想
- 暗黙知
これらを持っている人がやめると、組織は大きな損失を被ります。
意思決定の負債の蓄積
技術負債という言葉がありますが、技術負債が発生する根本原因には意思決定の負債があります。ソフトウェアは設計思想がなくなると、途端に乱れます。設計思想は暗黙知として共有されていることが多く、設計思想の継承がされない状態でエンジニアがやめてしまうと次のような問題が顕在化します。
- なぜその設計だったのか分からない
- 誰も判断できず、決定が遅くなる
- 場当たり的なコードが増え、開発速度や品質が低下する
意思決定の負債が発生(根本原因)→場当たり的なコードで対応(原因から引き起こされる結果)→場当たり的なコードが蓄積した結果、技術負債が発生(表面に見える現象)というのが技術負債の構造です。
沈黙が組織文化に与える長期的な影響
沈黙は個人の問題ではなく、組織文化の問題として広がっていきます。優秀なエンジニアが黙り始めると、その影響は組織全体に波及します。
残ったエンジニアは「意見を言っても無駄だ」という文化を学習し、自分も意見を言わなくなる傾向があります。このように、沈黙は組織文化として定着し、長期的に組織の意思決定力を弱めていきます。
また、心理的安全性が低下することで、エンジニアはリスクを取らなくなり、イノベーションが生まれにくくなります。組織は現状維持に留まり、競争力が低下していくことになります。
6.経営者・事業責任者・リーダーが取るべき視点
まず、意思決定のプロセスのまずさがエンジニアの退職を引き起こしていると認識することが第1歩です。
意思決定のプロセスについてはリーダーの影響が大きいため、現場のエンジニアレベルでの改善は難しいということを理解する必要があります。
意思決定のプロセスは一見すると人の問題に見えますが、「人の問題ではなく、構造の問題」です。本質的な問題は意思決定のプロセスが整備されていないところにあります。構造の問題は水が高いところから低いところに流れるように、再現性を持って繰り返されます。そのため、新しく人を入れても数年で離職ということを繰り返すことになります。
沈黙を生まない組織設計が必要
意思決定のプロセスの成否は仕組みとマネジメント層の適切な運用にかかっています。意見を言いやすい環境づくりをすることで、エンジニアが意見を言い続けられる環境を作る必要があります。
意見を言いやすい環境づくり
意見を言いやすい環境を作るためには、以下のような取り組みが有効です。
- 意見を言うこと自体を評価する: 意見の内容が採用されなくても、意見を言ったこと自体を評価することで、意見を言いやすい環境を作ることができます
- 意見の違いに寛容である: 意見の違いは組織の多様性であり、長期的な組織力の源泉です。意見の違いに寛容であることで、多様な意見が出やすくなります
- 意見を言うリスクを下げる: 意見を言うことで不利益を被るリスクがあると、意見を言いにくくなります。意見を言うこと自体がリスクにならないような環境を作ることが重要です
定期的なフィードバックの仕組み
意思決定プロセスが適切に機能しているかを定期的に確認する仕組みを作ることも重要です。例えば、定期的に「意見を言いやすい環境かどうか」をアンケートで確認したり、1on1で意見を聞いたりすることで、問題を早期に発見できます。
沈黙を生まない組織設計は、一度作れば終わりではありません。継続的に改善していく必要があります。組織の状況に応じて、適切な仕組みを調整していくことが重要です。
おわりに
「沈黙は同意を意味しない」という言葉があります。同意のない沈黙は組織の危険シグナルです。組織はそこで働く人が建設的な意見が言えるように意思決定プロセスを作り、適切に運用する必要があります。そうでなければ、優秀な人材を失い、組織の競争力が低下することになるでしょう。
この記事が、あなたの組織でも起きているかもしれない問題に気づくきっかけになれば幸いです。